70年代に入って、白人の腕利きスタジオミュージシャンが始めたインスト音楽がフュージョンである。ここまでは事実だからいいとして、彼等は60年代ならジャズをやっていそうな雰囲気なのになんで「白人だけの音楽」であるフュージョンを始めたのか今ひとつわかりかねていた。

67年にコルトレーンが亡くなり、ポストコルトレーンの急先鋒として業界の注目を集めたのがJB(のスタイル)であるのも事実だからいい。いわゆるレアグルーブ~ジャズファンク路線が67年を境に始まるわけだが、キング師暗殺事件の折、まるで人種融合のシンボルであるかのように振る舞ったJBが69年に「Say It Loud, Im black and Im Proud」を出して衝撃的な「黒人宣言」を出したあたりで、どうも白人ミュージシャンがジャズのフィールドに居辛くなったような感じなのかな、と言う気がしている。

なんと言っても他ならぬオピニオンリーダーであるJBの宣言である。彼を尊敬する黒人達がその言葉に影響を受けなかったとは思いにくい。

元々ジャズはアメリカ音楽の中では「人種音楽」にカテゴライズされる音楽であり「黒人の音楽であるジャズをやっている」白人ジャズマンに対する風当たりは生優しいものではなかったと言われている(このあたりの雰囲気はエミネムの「8Mile」も参照) その上での「黒人宣言」である。流行のロックにも乗れず、ジャズからも放り出された白人ミュージシャンが「ジャズのやり方を真似たロック風の」インスト音楽をやろうと思ったのはそんな時代背景が原因だったんじゃないかと、なんとなく考えている。